深夜のYahooニュースで「三原じゅん子議員、初入閣で調整」という記事を目にしました。とっくんは、三原さんとは同学年なので、どうしても自らの人生をダブらせて見てしまいます。それに、とっくんは実は、三原さんのファンでした(笑)。
こんにちは、リアルタイム「金八先生世代」の不動産屋2代目社長とっくんです。
そう言えば、内閣改造はもうすぐなんですね。三原じゅん子議員は初入閣なんですか?! だいぶ活躍されているので既に閣僚経験があると思っていました。
あと、橋本聖子議員もとっくんと同年です。『東京オリンピック世代』ですわ。
ちなみに、とっくんの新聞記者時代は「地元選手の国会議員が初入閣」する際には、共同通信社の配信記事に加えて、選挙区での喜びの声を取材するのが通例でした。
こうしたこともあって、「内閣人事」と聞くと、昔を思い出すノスタルジーを感じる風物詩のような感じです。
【参照】Yahoo記事「三原じゅん子議員、初入閣で調整」
記事の詳細はリンクを貼っておきますので、そちらからご覧ください!!
三原さんのことを書く前に、プロフィールをウィキペディアから転載しました。参照にしてください。
1964年9月13日、東京都に生まれる 1971年4月、私立淑徳小学校入学 1972年、東京宝映テレビ・劇団フジに入団。入団まもなく、劇団フジ定期公演「青い鳥」等に出演 1975年 第29回定期公演で「強制収容所の少女」の主役シズエを演じる 1977年4月、私立十文字学園中学入学 1979年 テレビ朝日系ドラマ『燃えろアタック』(主演は歌手の荒木由美子)へ出演 1979年 『3年B組金八先生』に「山田麗子」役で出演 1980年 明治大学付属中野高等学校定時制へ入学も、2日ほどで退学 1982年「だって・フォーリンラブ・突然」のロングヒットで、第33回NHK紅白歌合戦に出場 1984年 20歳の誕生日を機に本名の「三原順子」から「三原じゅん子」へ改名 1987年~1999年 カーレーサーとして活動 1990年 レーサーの松永雅博と結婚(1999年5月離婚) 1999年11月 お笑い芸人のコアラと再婚(2007年離婚) 2008年 子宮頸癌を患い子宮を摘出したが、リハビリを経由して復帰 2010年3月 自ら介護施設の経営に乗り出す 2010年4月8日 第22回参議院議員通常選挙に自由民主党から比例区で出馬、初当選 2016年10月26日 議員秘書を務める男性との結婚
なんか、同年なので、三原さんの来歴を見ると、とっくん自身の人生を振り返ってしまいます。
とっくんの中での三原さんのイメージは【ツッパリ→健ちゃん→カーレーサー→コアラ→政治家】ですかね!!
とにかく三原さんは『キャラのフレ幅が極端』なので、いつも『えっ?!そうなの!!』と驚かされます。
【衝撃】お笑い芸人のコアラと再婚!! ラブラブキャラでイメチェン全開!!
恐らくですが・・・、とっくんの世代の男性で三原さんのファンの人たちにとって、三原さんがお笑い芸人コアラさんと再婚し、『ラブラブぶりを振りまいて』テレビに出まくっていた、あの衝撃を覚えている人は多いでしょう。
だって、「金八先生」でツッパリ役、カーレーサーで、その次が『コアラさんとチュッチュ』でしたからね・・・。
Youtubeでは、“コアラ時代”の三原さんの映像はほぼ出てきません。やはり、NGなんでしょうかね?!
【恥を知りなさい演説】政治家三原じゅんこの真骨頂?!
政治家になってからの三原じゅん子議員の活動は、とっくんは多少の羨ましさを交えて見ていました。国会の演説で野党に対して『恥を知りなさい!!』と言えますか?! あの度胸はホンモノでしたわ。
どうですか?! この迫力は・・・
金八時代の「山田麗子」の復活ですね(笑)
まとめ:内閣人事報道はアテにならない一面も?!
最後に、内閣人事を報じるメディアの取材について書きますと・・・、
ダレもが読めない「小泉首相の人事」と安倍首相は似ていますが・・・。
自民党が長期政権時代で、派閥政治が全盛の時には、「内閣人事の誤報」は少なかったです。それは、各派閥から首相に対して『この議員を入閣させてくれ!!』という名簿を渡して、首相はその中から閣僚を指名していたからです。
ところが、派閥というのがほぼなくなった小泉純一郎内閣では、小泉氏の一本釣りで閣僚が選ばれたので、メディアも内閣人事を読むことはできなくなりました。
安倍首相もその傾向がありますが、小泉氏ほどではないため、人事前に情報がポロポロとは出てきます。
とは言うものの、やはり「内閣人事はミズモノ」です。官房長官の正式発表まではナニが起こるかわかりません。
とっくんの心の中では、かつての憧れ「三原じゅん子さんの入閣」を願っております。